「子どもらしい」時期がほとんどないまま大人になってしまったさかなさんですどうもこんにちは!
いずれ何かで書こうと思いますが、幼稚園の頃から親や周囲に気を遣って行動を選ぶような子どもでした。
今にして思えばよく頑張ったなと思います。
自身がそんなだったからなのか、私はいわゆる「子どもらしい子ども」が苦手です。
わがままで、うるさくて、自由すぎるほど自由で、感情をそのままぶつけてくるくせに大人を都合よくコントロールしようとするズルさもあって。
そんな子どもが非常に苦手です。
「嫌い」と言ってしまってもいいかも知れません。
その一方で、私はそういった子どもたちに対して(もちろんそうじゃない子どもたちに対しても)
「そのままのびのびと、自由に、健やかに育って欲しい」
と本気で思っています。
実際、現在PTAを本気で頑張っているのは、子どもたちにそういう環境と機会を提供したいからです。
そこに嘘はありません。
この一見相反する感情が自分の中に同時に存在することに、私はずっと居心地の悪さを感じていました。
どんな子どもたちも健やかに育って欲しいと願うのは、私が対外的な見栄のために作り出した嘘の感情なんじゃないかと疑ったこともあります。
「子どもが嫌い」ということに罪悪感を抱き、好きになろうと努力したこともあります。
自分の子どもがいるのに「子ども」が嫌いなんて、私は何かが欠陥しているんじゃないか。
そんな私がPTAに関わっちゃいけないんじゃないかと悩んだこともあります。
そんな私が、最近ふとした瞬間に「子どもが嫌いなままでもいいんだ」と心から思えて、
そうしたら気持ちがとても楽になったので、今日はその話をします。
私と同じく「子どもが嫌い」で悩んでいる人のところに届くといいな!

さかなさん
元ICU看護師。2児(小4♀小1♂)の母。
歩くの大好きおでかけ大好き。
家の中では読書、洋裁、ミニチュアキット、ゲームなど。
最近はPTAも頑張ってる。
人生で味わった全てを書き残しておきたくてブログ書いてます!
「子どもを好きじゃなきゃいけない」という圧
さかなさん、実は昨年までとある親子コミュニティに運営として参加していました。
子ども嫌いなのに(笑)
そこには、一つの空気…いや、もっとはっきりと圧と言ってしまってもいいかもしれないもの、がありました。
「子どもの個性は素晴らしいもの」
「どんな子も、そのままでいい」
「それを「好ましく」受け止めるのが我々大人のすべきこと」
そんな圧。
理念として悪いとは思いません。
大事なことだと思います。
でも私はその中で、「子どもの素晴らしさ」を押し付けられる日々のなかで、少しずつ、苦しくなっていきました。
子どものどんな態度にも「これは素晴らしいものなんだ」と思えるように努力しました。
自分の中の違和感を押し込めて、あるいは違う何かに置換して、そう感じようとしました。
その結果どうなったか。
私は、ますます「子ども」が嫌いになっていきました。
尊重と好き嫌いは別のもの
今なら分かります。
相手を尊重し「そのままでいい」と思うことと、
「好きだな、好ましいな」と感じることは、
まったく別物だということ。
私はずっとそれを、一緒くたにしてしまっていたんです。
子どもを本当に尊重できるのは、子どもを好きな人だけ。
子どもを嫌いな人が「そのままでいい」なんて言うのはおかしい。
そんな思い込みがありました。
でも本当は、
- 苦手で、嫌い
- そのまま健やかに育って欲しい
この2つは、矛盾しない。
同時に存在していい。
そのことに、不意に気が付きました。
「素晴らしい」という評価を手放す
さらに思ったのは、
わがままで自由な子どもも、
静かでおとなしい子どもも、
別に「素晴らしい」わけではないよな、ということです。
ただ、そういう特性を持った子どもがそこにいるというだけ。
これ、なんとなく
「強い個体、優れた個体が生き残るわけじゃない」
っていう進化論の話に通じるものがあるなって私は思ってるんですけど。
子どもが持つ特性に、優劣や意味づけを乗せる必要がそもそもないんじゃないかと思うんですよね。
ただそういう「生存戦略」を持った子どもがそこにいるっていう、それだけ。
その戦略に良いだの悪いだの、素晴らしいだのどうだのという評価を乗せるのは、それこそ大人の都合でしかないんじゃないかという気がしています。
私は「子どもの個性はみんな素晴らしいものだ」なんて言われるよりこっちの方がよほどしっくり来るんですけど、皆さんはどうですか??
嫌いなまま応援していい
さて、これらを経て
「嫌いなままでいい」
そして
「嫌いなまま応援していい」
そう自分に許可を出すことができました。
無理に好きになろうとしなくていい。
そのことは私の心を随分軽くしてくれました。
不思議なもので、そう思えたら「子ども」に対して「まぁいっか」と思える瞬間がちょっとだけ増えた気がしました。
しかしなぜか懐かれる
ちなみにですが、私は子どもが苦手で嫌いなのに気付いたら子どもに囲まれている、ということがよくあります。なぜ。
多分ですが、
- 子どもに変に期待しない
- 「子ども像」を押し付けない(大人と同じ距離感で話す)
- コントロールしようとしない(そもそもできると思ってない)
- でも性格的に無視ができない
この辺りが原因かな~と自分では思ってます。
内心は「まじでやめてくれどっか行ってくれ」って泣きそうになってるんですけど。
話しかけられたらついちゃんと返しちゃうし。
何人かでいるときに誰かが発言して、誰からも返答がないと
気まずくてつい自分が拾っちゃうし…。
なんか「ちゃんと反応してくれる大人」ってだけで寄ってくる子がいるのはなんとなく分かる気がします。
でも本当にしんどいんでやめてください(笑)
子どもとの距離感
そんなこんなで、現在の私のスタンスはこんな感じです。
- 子どもは苦手だし嫌い。そうあることを自分に許した。
- でもその子を否定する気はない。不利益になることもしない。
- のびのびと健やかに育って欲しいと本気で思っている。そのためにできることもする。
- ただし私にはあまり近付かないで欲しい
これぐらいの距離感で、これぐらいのペースで、私はこれからも子どもと関わっていこうと思います。
最後に
子どもに対する長年の「こうあるべき」を手放して、自分の感情と意思を切り分けて考えたら、それぞれが収まるべきところに収まって、とても楽になりました。
嫌いなままでいい。
嫌いという感情は、コントロールしようと思ってできるものではないから。
でも、感情は選べなくても、その上でどう関わるかは自分で選ぶことができる。
きっと、それだけの話だったんだと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
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