パラレルワールドに迷い込んじゃう系の漫画・小説大好きなさかなさんですどうもこんにちは!
以前「好きな小説のジャンルは純文学」と書きましたが、SFもかなり好きです。
純文学とSFって実はかなり性質が近いですよね?そんなことない?
さて、前回の記事では量子論の「そんなわけない」面白さをいくつかご紹介しました。

今回はその続きで、量子論が連れて行ってくれるさらなる遠い世界をご紹介したいと思います。
そう、私にとって量子論とは、遠い世界への行き方を少しだけ教えてくれる存在でもあるのです。
量子論が連れて行ってくれる世界
小説じゃない「パラレルワールド」の世界
みなさんは「パラレルワールド」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
SF映画か小説か、最近なら異世界転生ものでしょうか。
いずれにせよ、創作物・フィクションの世界ですね。
ところがこれを、ノーベル賞クラスの物理学者たちが、知の最先端で大真面目に議論しているんです。
ともすれば「そんなものは小説家にでもやらせとけ」と一蹴されてしまいそうな案件を、
知の最前線にいる科学者たちが本気で議論しています。
どういうことか、もう少し詳しく説明していきます。
「多世界解釈」という解釈
前回、量子論ではミクロな物質は「観測した瞬間に状態が決まる」という話をしました。
でもこれには、物理学者たちをずっと悩ませてきた問題があります。
「観測した瞬間に決まる」って、じゃあ「観測」ってなに?
意識がある生き物が「見た」とき?
測定器が反応したとき?
そもそもなんで「確定」するの?
この問いへのひとつの答えが「多世界解釈」です。
簡単に言うと
「確定なんてしていない。すべての可能性が、並行して実際に起きている」
という考え方です。
電子が「A地点にいる世界」と、「B地点にいる世界」がどちらも実在している。
観測のたびに世界が枝分かれして、全部の結果が別々の世界で実際に起きている。
つまり、観測の数だけ、分岐の数だけ、パラレルワールドが無数に存在している。
この考え方、荒唐無稽に見えますが、数式の上では非常にきれいに説明がついてしまいます。
数学の都合で、ファンタジーだと思っていたものが現実になりかけている。
多世界解釈の話を聞くと、どこかねじれたような、裏と表がひっくりかえるような、奇妙な心地になります。
ちなみに、パラレルワールドを初めて書いたと言われる小説『メン・ライク・ゴッズ(邦題:神のような人々)』の刊行が1922年。
量子論の多世界解釈が1957年。
もし多世界解釈が本当なら、この35年間、人間の空想が科学を追い越していたんだなぁと愉快な気持ちになったりもします。
「あるのかもしれない」を楽しむ
私は科学の話が大好きですが、一方でオカルトやスピリチュアルなものも割と好きです。
でも、そういったものを「信じている」というのとは少し違います。
「完全に信じてるわけじゃないけど、そういうこともあるかもね。あったら面白いよね」
こういう距離感で楽しんでいます。
この感覚が、量子論と共鳴しました。
量子論はまだまだ分からないことだらけですが、一つ、間違いなく証明したのは
「この世界には、私たちの常識が通用しない領域が、確実に存在する」
ということだと思います。
信頼できる実験で。
何度も確かめた上で。
だとしたら、
オカルトやスピリチュアルの領域も、私たちがまだ認知できていないだけで、何か実在するものがあるのかも知れない。
そんな気がしてきませんか?
量子論がそれを直接証明しているわけでは全然ないんですけどね。
でも、世界には知覚の外の世界があるということを、科学が正式に保証してくれたような感じがして。
「そういうこともあるかもね」をより豊かに、ワクワクと楽しめるようになった気がします。
次回・なんで私はこんなに量子論が好きなんだ?
さて、ここまで量子論の魅力について大いに語ってきました。
次回はなぜ私はこんなにも量子論が好きなのか、少しだけ自分語りをして量子論の話を終わりにしようと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
また次の記事でお会いしましょう!
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